婚活のまとめ:婚活や婚活サイトについて想うこと

妹へ?

元気ですか?

この前電話した時、デートアプリをダウンロードしたという話を聞き、しかも「遊びじゃなくて結婚を前提に」というあなたの言葉にお姉ちゃんは驚きました。結婚を視野に入れてってことは、婚活なのでは!とびっくりしました。自分の妹が婚活するなんて信じられません。

だから今日は婚活について話します。

婚活という言葉

お姉ちゃんは、婚活という言葉になんとなく違和感を感じてしまい、未だに慣れることができてません。いつの間にか『婚活』という言葉が当たり前になっていますが、使われ始めたのは2007年だそうです。日本を離れている間にそんな言葉が生まれて、帰国した2012年には標準語になっていたので、どうも普通の言葉として受け入れられないところがあります。でも受け入れられないのは、言葉だけではなくてそのコンセプトもだと思います。

婚活のイメージ

何度か話したかもしれませんが、青山のアパレル会社で働いていた時、30をちょっと超えた女子たちが「あーもう仕事したくない、早く結婚したい」とよく嘆いていました。「アパレルは3Kだから」と言っているのに、キャリアを積もうとしたり、ステップアップして高給のところに転職するということもなく、ただ結婚して専業主婦になりたいという姿にちょっと幻滅してしまいました。ちなみに3Kとは「暗い、汚い、給料安い」だとも教えてくれました。

その次の会社で、元証券マンの男の人に囲まれて仕事をしていたとき、ちょっとカッコイイ元証券マンが「あーもう洗濯したくねぇ、早く結婚したい」と言っていたのを聞いて、これまた幻滅しました。

お姉ちゃんにとって婚活とは、こういう人たちがすることなのです。

そもそも婚活とは?

30代だからといって、結婚を前提に付き合わなければチャラいと思われてしまうのでしょうか?

ヨーロッパに住んでいると、もちろん結婚願望というものを持ってデート活動に励んでいる人はいますが、日本でいう婚活という感じではありません。とりあえず知り合って、付き合って、様子を観ていこうという感じです。子供の話は出たとしても、「結婚したい」というのは聞いたことがありません。付き合って、気が合って、子供が欲しいし結婚でもするかという感じです。ところが日本ではなぜか婚活している人は、1年以内で結婚してしまう気がします。これで大丈夫なのかなと思います。

前に、『30代と20代は違うよ』という話をしましたが、このTEDトークのビデオで「30になるからといって焦って、イス取りゲームのように、空いてる人をと誰でもいいからといって結婚しないこと」と言っています。お姉ちゃんは付き合って3~4年目で別れます。だから、1年以内に結婚するのはリスクが高いような気がしてならないのです。

「そんなことを言ってもね、社会人になると学生とは違ってお互いを知り合う時間が限られてるから」と言われたこともあります。そういって、社会人になってから彼氏がずっといなくて、30ごろに急に大学時代の元カレと結婚したという人も周りにいます。

結婚願望が無くなったお姉ちゃん

30代半ばになると、周りに結婚だけではなく、離婚を経験した人もちらほらと出てきます。

離婚を経験した人達はボロボロです。円満に離婚した友達でさえ、二度と結婚したくはないようです。理由は何であれ、捨てた捨てられた浮気か否かは関係なく、離婚は精神的にとても苦しくて、鬱の原因になるということはわかりました。

ところで、この世界ベストセラーは読んでおいてください。

この本は離婚した著者が、旅行と通して自分を発見して離婚と鬱から回復していく話で、30代前半女性の教科書ではありませんが、参考書です。人生が変わるかもしれません。30になったからといって人生を変えるのはまだまだ遅くないと勇気づけられます。

お姉ちゃんは、へ理屈のようですが、結婚する理由がまず見つかりません。結婚したからといって、何の保証もありません。日本では結婚したら夫婦同姓にならなければいけないので、婿養子という言葉にもあるように、新しい核家族を作るというよりも、誰かの家の一員になるという感覚があり、家族を含めて相手を選ばなければいけません。

「(結婚)相手の親から借金の返済にお金を貸してくれといわれたらどうする?」と貧しい家系出身の彼女と付き合い始めた友達に聞かれました。お姉ちゃんの答えはこうです「そうなる前に、まず結婚しない」。彼女でいる限り、他人としての壁があって家族の行事には絶対参加というわけでもない気がします。愛は冷めたけど、結婚しているからという理由でずるずると同居人だけのように付き合ったり、浮気をしている人達もいます。結婚していなければ、すぐに別れることもできたはずです。結婚は罠です。

30歳はまだ若い

30歳はまだ若いです。人生のまだ半分もいっていません。

だから人生の半分以上を一緒に過ごす人を焦って探す必要はありません。ただ常にいろんな人と知り合って、お茶飲み友達みたいな人を増やしてみてもいいと思います。東京では本当にみんなオープンで、すぐに友達ができました。沖縄でもそういう経験をしたことがあります。田舎にいると、「結婚前提に付き合う人を探している」という名目でしか異性と知り合う機会がないのも事実です。でも、いきなりそんな風にならないためにも、知り合いに誰かを紹介してもらって一緒に遊んだり、知り合いの兄弟とか姉妹の知り合いとか、そういう人と会うのもいいのではないかなと思ってしまいます。

婚活サイト・デートアプリの心構え

デートアプリは希望と絶望の連続です。メル友のように長い間連絡を取り合っても、会ったら一度で幻滅ということもあります。変な人ではないとわかったら、すぐに会って、やりとりの時間を無駄にしないことをおすすめします。

アプリを使っていると、思うに、最初のうちは人として一人ひとりと丁寧に接しようとしますが、そのうち、一人ひとりに対する思い入れがなくなります。なぜなら、長く連絡を取り合ったのに結局会えないまま終わったり、会ってみたらイメージと違くて幻滅したり、着信拒否されたりしているうちに、疲れてきて相手からあまり期待しなくなるからです。

だからアプリ初心者の人達は丁寧に返信してくれたりしますが、上級者になると急に消えたりブロックしたりしてきます。だから最初のうちは、アプリを長く使っている人に冷たく扱われたりして悲しくなったりするかもしれませんが、アプリを経験していくうちに、自分も容量がよくなっていき、ブロックされたり消えたり既読無視されても、気にならず、自分も同じようになっていきます。これは、冷たく聞こえるかもしれませんが、何人もと「出身どこ?趣味はなに?」という話を繰り返ししていると、飽きてきて、時間を無駄にしたくなくなるからです。だから初心者のうちは、嫌なことがあっても「あ、この人はきっとアプリ上級者なんだな」と思ってあまり気にしないように。

デートアプリで成功した理由

ちなみにお姉ちゃんと彼氏はお互いアプリで知り合いましたが、彼氏は暇だったので食事と散歩相手探し程度に使っていて、お姉ちゃんも出張ばかりの夏だったので、出張先で食事相手と観光案内してくれる人探しに使っていました。そしてお互いアプリを使って長かったので、全然相手に期待をしていませんでした。

だから会ったのも「婚活するぞ!彼氏探すぞ!」というわけではなく、軽い気持ちでメッセージを送ったら、すぐに返信が返ってきたので、その日のうちに電話して、会うことになりました。ちなみにお姉ちゃんから連絡をして、電話しようといって、その日に会おうと言って、バーも見つけて段取りをととのえました。これは、アプリで1か月以上前に知り合ったのに、一度もメッセージを送ってくれなかったからです。

お互い色んな人と会っていて、デートというよりはただ会って話すという感じで、話した内容は夏にスリに遭った話や、彼氏がホームレスに騙されてお金をとられた話とか、「スポンジ」って海藻だよというトリビアとか、本当にたわいもないことを話していたことを覚えています。もしも彼氏彼女を探すつもりだったら、話す内容も全然違っていて、今一緒になっていなかったと思います。

婚活に疲れた・・・となる前に

いろんな人と会っているうちに、だんだん自分のスタンダードが低くなっていくのを感じるかもしれません。『理想のパートナーの見つけ方』のビデオを参考にして、まだ最初の人に会う前に、自分が相手に求めているものや、恋人とどんな時間を過ごしたいかということを具体的に書いておくといいと思います。

例えば朝方でないなら「日曜日は昼まで寝て、午後は一緒にランチに行って、夜は家で一緒に食事しながら映画を観る」なんてことを理想の恋人との時間の過ごし方に書いたとしたら、「朝方で、日曜は早起きして遠出して、月曜に備えて早く寝たい」という人とは自分の思い描いていた恋人生活が送れないかもしれません。そんなことも考えて、自分が相手に求めているものや、自分が思い描く恋人生活を書き出してみて、ふとした時に見返してみてください。書くと、叶います。

お姉ちゃんより

投資の話:お金に関する知識をつける

不景気

妹へ

元気ですか?

先日、先人の知恵を借りるという話をしましたが、今日は投資に関して先人の知恵を借りることについて話します。

さっそくですが、「金持ち父さん、貧乏父さん」という本を知っていますか?お姉ちゃんは、名前は知っていたけど、読んだことがありませんでした。

今月初めて読んで、目からうろこが落ちるというのを経験しました。

パッシブインカム(不労収入)について話したことがありますが、この本もそれにちょっと関係あります。この本の著者は、ハワイ出身で、不動産で大儲けした人です。

お姉ちゃんは特に不動産投資をしようとは思わなかったけれど、アパートから追い出されるのと友達がアパートを買ったことをきっかけに、「家賃を払うなんてお金の無駄だ。自分もアパートを買おう」と思っていました。ところがどっこい、この本を読んでそれがよくない考えだということに気が付くことができました。

それについてはあまり深くは話さないけれど、このロバートさんいわく、借金はよくないというのと、自分の資産のほとんどが不動産という形で縛られてしまうと、投資をして儲けることもできず、家の価値が例えば半減してしまったらば、自分の貯金も半減してしまったのと同じことになります。(他の物件が安くなっていても、ローンは払いきるまで同じ額を払い続けることになります)

だったら銀行にこつこつ貯金して、ある程度まとまった頭金ができたら借金を極力少なくして、家を買えばいいのではないかと思うかもしれませんが、これも間違いです。銀行の口座にお金を貯めているのは不動産に投資するのと同じことで、お金は増えません。だからどこかに投資するのが大事です。

お姉ちゃんは7月から株を買い始めて、日々いろんなことを学んでいますが、ロバートさん曰く、早く始めるにこしたことはないというのです。なぜなら例えば全財産失ってもまた経済的に回復することが可能だからです。

お母さんとチェンマイに行った時、チェンマイのマンションの一室を買おうかという話になりました。この時はお母さんは食中毒になる前でノリノリだったので、二人でそんな気分になっていました。でも、この時二人とも思ったのは、周りに誰もこういうことに関するアドバイスをできる人がいないということです。

もしもうちが、会社を経営していたり、社長さんやMBI取得者の知り合いがまわりにいたら、きっとすぐにマンションを投資のために買っている人なんかも見つかって、すぐにタイから電話でアドバイスを求めていたことでしょう。こういう時に頼れる人がいないからこそ、本に頼るのです。

ロバートさんはこの本の中で「XXしようとするのは、中流階級の考えだ!」と何度もいいます。これがズーンと心に響きます。

凡人のように考えていたら、いつまでも凡人のままです。だから、お金持ちが考えるようにものごとをみることができるようになれば、お金持ちになることができるのです。凡人が中身はそのままで億万長者になっても、お金はなくなっていくばかりです。宝くじ当選者が破産する確率は高いという話をきいたことがあるかもしれませんが、それがまさにこの通りなのです。

この本は投資の話しというよりは、お金を扱う知識についての話です。

これは学校では習いません。どこからお金の扱い方を学ぶかといえば、親のしぐさを見てと、お小遣いやバイトのお金を貯めたりして、さらに一人暮らしをしてやりくりをしはじめてからではないでしょうか。この過程で誰かが「お金は、こうやって管理するんだよ、収入のXXくらいは貯金にまわして、XX歳になったらXXとXXに投資するんだよ」と教えてくれたかというとそんなことはありません。だからこれは学ばなければいけないことです。

話は少しずれますが、元カレに経済状況について聞かれた時に、とても嫌なきもちになり「これは個人的なことだから、恋人同士でも話すべきじゃない」といっていたので、「なんでいつもお金の話になると、普通に話せないの?」と聞かれたことがあります。そして気づいたのが、よくお母さんにうちの経済状況について聞くと「子供はそんなこと心配しなくていいの!」とすぐに言われていたことを思い出し、気づかないうちにお金の話はこうするものだと思っていたのです。それに気が付いてからは、お金の話も普通にできるようになりました。別に自分の収入を友達や彼氏に教えるのが悪いことではありません。

お金といえば、これも面白い本です。

でも今回のテーマの投資には全然役に立ちません。この人はお金をもたない集団生活のカルトで育ったので、お金がとても特別なものだと認識するようになりました。漫画なのですぐに読めますが、お金との付き合い方って人それぞれだなと思います。

話はまた長くなりましたが、この本は絶対読んでおいた方がいいです。他にもウォーレン・バフェットと本など読んでおいたほうがいいものは数冊ありますが、日本語に訳されていて読みやすいのは、金持ち父さん、貧乏父さんだけだと思います。

30歳、まだまだ若い。

これから投資について真剣に考えて、どんどんお金を増やしていってください。ロバートさんは、「お金のために働くのではなく、お金を自分のために働かせる」といいます。

投資していないお金は、トイレに捨てたも同然という言葉も、どこかの大金持ちが残しています。

お金に執着するのはもちろんよくないけど、スマートに投資をして、ただ貯金しているお金を肥やしてください。

お姉ちゃんより

先人の知恵をかりてスマートに生きる

brass buddha figurine on black surface

妹へ

元気ですか?

この前、仕事で疲れている時は、エクササイズ瞑想をするといいという話をしましたが、今日は人生に迷ったり、方向性を変えたいけれど自分ではどうすればいいかわからない時に、先人の知恵に頼ってみることについて話します。

先人との出会い-老子-

昔、ハンガリーにいったとき、地元の新聞記者と知り合いになりました。

いつかは本を書こう思っていた当時、新聞記者であるその人にも「いつかは本を出版する計画はある?」と聞いてみました。すると、意外な言葉がかえってきました。

「ずっと本を書きたいと思ってたんだけど、老子の本を手に取った時に、もう自分が書きたいことは全て書かれてるってことに気が付いて本を書くのは諦めたんだ」

この時、英語名の『ラオツー』にピンとこなかったのですが、漢字にすると「老子」。

そうです、あの漢文の授業に出てくる老子です。

この人の一言で、先人に知恵を借りるということについて考えるようになりました。

毎年、数えきれない本が書かれている中で、一度の人生をまだ半分も生きていない人が生き方について本を書いたところで何を語れるだろうかと思ったのです。

老子は紀元前4世紀の人間です。紀元前から哲学者たちは生き方や自己啓発について説いてきて、師とする人から学び取って、弟子を何人ももち、何世代もかけて、知恵を後世に残しています。

自己啓発本や生き方に関する本は溢れるほどあり、毎年その数は増していき、そして忘れられていきます。

話されている内容は、どれも似たり寄ったりで、2000年以上前に話されていたことが、形は違うものの繰り返されているだけです。人間の本質とは何か、どうやったらよく生きられるか、幸せとはなんだろう、どうすれば成功できるのか・・・数千年も色々な人が意見を言ってきたけれど、これといった答えがまだ出ていません。

これはなぜかというと、答えがないというよりは、みんな一から探そうとして、短い人生の中で探せないまま終わってしまうからではないかなと思います。だから先人から学び取って、それを改善して、ということを絶えず繰り返していたら、もっと前進していたかもしれません。

例えば科学。今では新発見をするのは難しくなっていると言われています。昔は一人で複数の元素さえ発見できたものですが、今では今までわかっていることを知った上で、そして初めてまだ発見されていない何かを発見することができます。しかし今までわかっていることを知るにも、その情報は膨大すぎて、全てを学ぶことはできず、小さなテーマを選んでそれを掘り進めて、上手くいけば生きているうちに新しい発見をすることができます。昔のように数学者兼哲学者兼政治家で、いろんなものを発見して自分の名前をつけることなんて無理なのです。

だから、大学を卒業してあまり挫折もなく起業した若者や何十人かの相談にのってきたカウンセラーが、老子や先人の言葉を知らずに「幸せになる方法」「成功する方法」「正しい生き方」を本にして、人生相談人・人生コーチングをやっているのはどうなのかなと思ってしまいます。

先人の言葉、古人の言葉

話はそれましたが、人生にちょっと迷った時に、当時のハンガリーの新聞記者の話を思い出して、老子の言葉を読むことにしました。老子の言葉は結局は数える程しか残っておらず、本1冊ぶんです。日本語、英語、漢文で読もうとしましたが、挫折してしまいました。でも読んでみると、確かにこの人はすごい人だなと感じます。第六感ではないけれど、何か見えないものが見えていたのではないかなとも思えます。老師についてはまた次の時に話します。

この挫折を通して、どうして科学のようにいかないかがちょっとわかりました。

夏目漱石でさえ読むのが大変なのに、2400年前に現在一般の中国人さえ読めない中国語で書かれた文章を、10年以上も前にちょっと習った古文の知識で日本人が読もうとしても読めるはずがないのです。

仏教も先人の知恵

そして思ったのです、どうやったら昔の偉人の言葉から恩恵を受けることができるのか。

そしてここで2400年も前から現在まで残っているものがまだあります。それは仏教です。仏教が誕生したのは紀元前450年だと言われています。

人生に迷った時に宗教に頼るのはこわいし、やめた方がいいと思います。

でも、仏教はほとんどそっくりそのまま原型が残っている老子とは違い、いろんな人達がアップデートしてきました。そのため、薬師寺のお坊さんの法話が、現代語でわかりやすく修学旅行生でも理解できるようになっています。

もちろん、インドで始まってから中国経由で日本に来るまでの間に、仏教は変わってしまったけれど、本質は同じです。仏教は「苦を逃れること」に焦点が置かれています。つまりはどうすれば幸せになれるかに重点を置いた哲学です。キリスト教のように「すべては神の意思によって起こる」や「よく生きていれば永遠に天国で暮らすことができる」というのとは違い、仏教は因果応報なので、何かが原因で苦が起きているからそれを解決しようというものです。何かを信じたり、お金を払ったり、どこかの集まりに参加したから幸せになれるというのとは違います。だから仏教は宗教というよりも、人生の指針として取り入れられるものだと思います。

話がまた長くなってしまいましたが、仏教を宗教としてとらえずに、何年も語り継がれてきた知恵で、これを現代語訳できるのがお坊さんだと考えます。葬式などの行事ごとも、魂をあの世に送ったりという宗教的な儀式を行っているというよりも、死というとても普通の人には理解できないものを、哲学の教えをわかりやすく伝えてくれる存在だと考えることもできます。ヨーロッパでは仏教を宗教としてではなく、ライフスタイルや自己啓発法として軽く取り入れているひとがたくさんいます。日本でも近年、若い人が宿坊体験するということが一般化してきています。タイのお寺に1週間滞在していたとき、年に一回は連休を使って瞑想するために寺に来るんだというタイ人もいました。こういう付き合い方をしている人を見ていると、仏教が身近に感じられるものです。

話が右往左往してしまいましたが、仏教でも、セネカでも老子でも、人生でちょっと迷ったら、原点に戻って先人に頼ってみるのはいいことだと思います。

最近やっと読みました。2日でサクッと読めます。仏教用語が日常的に使っている言葉になっているんだへぇーと思えるところと、こういう生き方をしてみようと参考になるところもあって、おすすめです。

米米くらぶ

abundance agricultural agriculture arm

妹へ

元気ですか?

今日はネタ切れというわけではありませんが、ちょっとお米について話したいと思います。

お米はアジアの外ではあまり食べられているイメージがないというのがありますが、実はアジア内でもご飯よりも麺が主食なところや、アジアの外でも食べ方は違ってもお米はよく食べられています。

スペイン人のルームメイトのせいでゲロゲロになった時、ルームメイトが「まだ食べない方がよさそうだから、パスタとかお米とか何かうちにある?」と聞いてきてどっちも家にあったけれど、お米を選んでご飯を作っていました。

あなたがトルコでお腹をこわした時に、フライドポテトを食べていたという話を聞いて、お腹をこわしたスペイン人がご飯を食べていて、ご飯が普通にある国でにお腹をこわした日本人がポテトを食べてるんだから、これにはなんとも言えません。

ルームメイトがヨロヨロしながらご飯を炊く姿を見て、その時に気づいたのが、どうやらスペインではお米は洗わないで炊くようです。実はドイツでもイタリアでも、お米を炊く前に洗わないのが一般的です。

お姉ちゃんも海外生活が長いので、もうどんな鍋でもご飯を炊けるようになりましたが(家庭科の教科書のおかげ)、やっぱりご飯を炊くのはみんな鍋にくっつくので苦手なようです。カナダの友達で、お米を炊く時は絶対にバターを入れている人もいて、それが当たり前で育っていたようです。

ちなみに、ドイツでは、お米が小さな穴の空いているプラスチックの袋に入ってきて、それをそのまま茹でて、熱湯から袋を取り出すと水が抜けていくというようなものを日常的に買っている人もいます。お姉ちゃんはそれを、1人分用に小分けになっているだけだと思って、茹でる前にその袋を開けて鍋で普通にご飯をたこうとしてしまって逆にびっくりされたことがあります。プラスチック溶けないのかな、と思いましたが、特にプラスチックの味はついていませんでした。

さらにびっくりなのが、ドイツでは昔でいう「干し飯(ほしいい)」のように、既に茹でたお米を水切りして乾燥させたお米が一般的に売っています。この工程で、デンプンが抜けた状態になっているので、また水で茹でても水がドロドロしないため大量の水でパスタのように煮て、水切りするような感じでご飯を準備できるのと、もちろん茹で上がるのも普通のご飯よりも早いです。でもこういうお米は、種類も違うのかもしれないけれど、粘り気が全くなく、水分もすぐにとんでしまいすぐに乾燥します。社員食堂とかではご飯はこれが一般的です。

それもあって、ドイツではご飯にはソースが欠かせません。ソースとは、日本のソースという意味ではなく、カレーなどから、炒めものでも、そこに絡めてあるタレの量が半端ではありません。イタリア人の友達はよく「食べ物がソースに浮いてるよ」といいます。よく洋食とかで「仕上げにちょっとデミグラスソースを」というのがあるけれど、その量がとても多く、ご飯と同じ皿に料理を盛り付けると、ソースを料理だけではなくご飯にも大量にかけてくれという人がたくさんいるのです。

カナダの大学の学生食堂では、頼んでとってもらうビュッフェスタイルでしたが、ご飯を注文するところになぜか醤油が置いてありました。欧米では味気のないご飯を食べるのは苦手な人が多いようで、出されたご飯の上に醤油をかけている人がたくさんいました。

久々に本格的な日本のとんかつ屋さんに行ったら、やっぱり白いご飯が苦手なドイツ人のお客さんのために、日本製のわさびふりかけが置いてありました。彼氏はそれにすごく感動して、スーパーでレトルトご飯とわさびふりかけを買って、会社でのランチにしていました。レトルトご飯の質の高さにも感動していました。

最近、地元のスーパーでも高いけれどおにぎりが売られるのを見かけました。

中身がまだまだまずいけれど、ドイツのスーパーでおにぎりが買えることもなかったので、これからが楽しみです。

近年、日本のお米を買う機会が全くなくなって、バスマティ米ばかり食べています。これは日本で言うタイ米のことでしょうか。カナダにいた時は、イタリアのお米が日本のお米に近いと言うので、リゾット用のお米ばかりを食べていました。ドイツではミルヒライス用のお米が日本のお米に似ています。このミルヒライスというのが、ドイツのデザートで、甘くした牛乳でお米を煮て、いわばお粥状態になったものをプディングのように食べるというもの。これが普通に小分けヨーグルトのようになったものをデザートとして買えるのですが、お姉ちゃんは何年経ってもどうもこれは受け付けられません。

彼氏はあんこが苦手で、豆なのに甘いのは変だという感じで、きっとこれがお姉ちゃんにとってはミルヒライスなのだと思います。ちなみに彼氏の家でカレーを作ったらお母さんに「ご飯どうやったらこんなに美味しく炊けるの?」と聞かれて、ご飯が炊くのが苦手らしいということがわかったので炊飯器をプレゼントしました。すると、なんとミルヒライス機能がついていました。これにはびっくりです。

お米一つをとっても、色んな話ができますね。

お姉ちゃんより

仕事が辛いとき:乗り越え方と辞め方

妹へ

元気ですか?

お母さんから、あなたが仕事を辞めたいと言っているという話を聞きました。そんなにすぐに辞められるとは思わないので、仕事が辛い時にどうすればいいかという話を少しします。それから最近仕事に退職届を持っていった話もします。

ドイツで最初に勤めた会社で、もう死語だと思うけど「お局様」のような人からいじめられたことがあります。それが原因で最終的には仕事を離れることになりましたが、仕事のプレッシャーもあって毎日残業と片道50分の通勤で精神的にボロボロだった時期があります。

そんな時に、仕事ができて気の強い5歳年上の女友達に、実は仕事場で年上の女の人からいじめにあってるんだけどと相談しました。するとその友達は急に真剣な面持ちになり、自分にも同じ経験があり、結局仕事を去ったことが30代前半であったと教えてくれました。「あなたはまず、強くならなきいといけない」と言われました。そして、コミュニケーションは上司に見せられるようにメールやチャットでやりとりして、二人きりで話さずに必ず誰かが近くにいる時に話すように、嫌でも逃げないでコミュニケーションをとり続けること、そして仕事をやってないという理由で何か言われないように、やるべきことと、やったことを全部書き出し報告し、不当な扱いを受けたらその内容と日時を書きだすようになどと言われました。

この時に一緒に言われて心に響いたのは「大切なのは体調だから、ストレスで体調が崩れないようにとにかく運動をすること」というものです。帰るのが遅くて疲れていて、帰ったらお腹がペコペコなので何か作って食べて、そしたら寝るという生活を繰り返していたけれど、その言葉を切っ掛けに、仕事の帰りに24時間ジムにいくようにして、週3回1日おきで週に2回週末に一回ジムに行くのが日課になりました。疲れていたけれど、もやもやしている気持ちで運動に励むと、嫌なエネルギーが蒸気のように出ていく感じがしました。

精神的にも体力的にも疲れていると、まずは家に帰ってテレビを観たりして何か考えなくてもいいことをして気を紛らわしたいとい衝動に駆られると思うけれど、これはあまりよくありません。運動と瞑想が一番健康だと思います。

瞑想に馴染みがなくても、20分が無理ならまずは一日5分だけでもいいから、横になって、体の一部一部に神経を集中させて(ボディースキャン)、顔や肩やあごなど力が入っているところを意識してリラックスさせて、あとは呼吸に集中します。YouTubeでやり方がたくさん出ていると思うから、それを活用するのもいいと思います。

そうでなければ、思いを書き出すのもいいと思います。そして何をどう変えたいのか、どんな自分になりたいのか、どんな生活を送りたいのかを改めて考えて書いてみます。これは後から振り返ったときに使える道しるべにもなり、人生の財産にもなります。嫌だから忘れたいといっていても、それを書き出して体の外に出すことで、グルグル回っている思考に何か新しい打開策が浮かんできたりするものです。

この時期は本当に辛かったけど、この経験を通して、周りの人達が仕事場で同じような経験をしたことがあることがわかったし、次に仕事で嫌な時期があったら、まずはリラックスするよりも運動するという考え方もつきました。

それから仕事場の人は嫌な人でも、生理的に受け付けないような人でも、辞めてしまえばただの他人です。同じ仕事場でみじめな思いをしていた時に、他の同僚に、「嫌な奴は自分に自信がなくて他の人をコントロールすることでない自信を補おうとしてるんだよ」と言われました。確かに小さな職場では、自分がそこで一番偉いというような小さな世界を作ることができます。でも外に出てみれば、自分には仕事もあるし、友達もいるし、何もみじめな思いをしなくてもいいじゃないかと思いました。

それから、「自分には仕事を辞める選択肢がある」ということも強みに感じました。一生懸命他人を蹴散らしてでも自分の仕事を守ろうとしている人を見て、「私はまだ若くて、仕事もすぐに見つかるから辞めることができる」ということに優越感を感じたのもあります。

仕事の辞め方

辞めるのではなくて辞めさせられたことが悔しく、最終的には仕事を休んだ状態で辞めたことから好きだった同僚やお世話になった人達とちゃんと別れることができなかったのが後悔となりました。当時はとにかく会社を一刻も早く去ることばかりを考えていて、辞めたらすっきりするかと思ったけれど、罪悪感や逃げたような感じがして、随分長く嫌な思いをしていました。多分、次にすぐに仕事に就かなかったことも引きずる原因になったのだと思います。

その後に同僚の家族の結婚式で会った元同僚の一人から「最後の日は、仕事の時はなんだったであれ、今までありがとうございましたっていって去るものだよ」と言われて恥ずかしい思いもしました。いじめてきた人はその場にはいなかったけど、その人とグルになって嫌だった同僚は気まずい顔をして話しかけてきませんでした。

10月末に退職届を出した今回、誰にも何も言わずに退職届を書いてそれを人事部にただ出そうと思ったけど、やっぱりそれはだめだと上司に「仕事を辞めます」といったら驚かれたけれど「本当に残念だよ、でも最後はビジネスだからどうしようもないね。今になってこういったら何だけど、いつかこうなるのではないかと予想はしていたよ」と言われてびっくりしました。

特に同僚や会社が嫌ということではないため、自分でも辞めるのはどうかなと最後まで踏ん切りがつかなかったけど、自分を成長させるためにも必要な手段だと思って前向きに決めました。今は気持ちがそれに追いついて、これからますます頑張ろうという気持ちになっています。

上司には同僚には自分から言いたいと言って、一人ずつにやめるということを伝えて、反応はそれぞれだったけど「辞めたら迷惑をかける」「あと3か月変に接されたらやだな」と思っていたけれど、そんな心配はする必要がなくて、前に仕事を何も言わずに去った時もこんな心配する必要がなかったんだなと今になって感じます。

仕事を辞めるということは、下手したら一生に一度または一度も経験しないことかもしれないから、こうやって自分の中で何が正しいか、辞めたらどうなるのかがわかったので、参考になったらいいなと思います。

長くなったけど、あらためて、周りに辞めると言って反応をみて思ったのが、同僚も上司も結局は他人で一人の人だということ。今までは一緒に仕事をやっている人という感覚だったけど、いつかは関わりのなくなる人として接していると「なんだ、結構いい人じゃん」とか「同僚じゃなかったら友達になれてたかもしれないな」と思う人もいます。

あなたも、けじめをつけるまで、健康に気をつけて。

お姉ちゃんより

病気になって感じるカルチャーショック②

妹へ

元気ですか?

今日は前回に続いて、病気と文化の違いについて話します。

色んなところで病気になったけど、やっぱり家で病気になるのが一番です。2番目は中国かな。おかゆとか日本よりも美味しいし、医食同源という考えが強いので、日本人としては共感できることが多々あるからです。

ちなみにずっと昔に中国人のルームメーとがいた時、風邪をひいて寝込んでたらお粥を用意してくれて、その時に一緒に生姜と黒砂糖を似たようなドリンクを作ってくれて、それを飲んだら汗が吹き出してきてすぐに良くなったのを覚えています。

大学の時に、風邪がなかなかよくならない時、同僚に勧められた高麗人参のエキスドリンクの効果を実感して以来、それも重宝しています。これを買うためにカナダの漢方薬局に行き出してから、漢方というか、ハーブとか昔からある治療法に興味を持ち出してから、風邪薬とか、薬を飲まなくなりました。胃薬もウコンの粉末のカプセルやミントティーに替えました。

こうやって色んな文化や病気と民間治療を経験して、自分なりの病気に対しての考え方ができてきたような気がします。それと同時に、日本の病気との付き合い方にも疑問を感じているのも事実です。日本では、処方箋無しで買える薬が多いのと、なんでも薬で治そうとする傾向がある気がします。さらに、病気になるのは自己管理がなっていないからだという考えが他の国と比べて強いそうです。

出張中に行ったロンドンで風邪をひいた時に、仕事の後近くの中華街へ行って漢方薬局を見つけました。もう遅いのにまだ開いていて「遅くまで開いててよかったです」と言ったら「病気は時間に関係なく起こるので」と若い中国系のお姉さんに言われたのを覚えています。

そうです、病気はなりたくてなるものではありません。だから、もっと自分や他人の病気に対して寛容になったらいいのではないかなと思うのと同時に、無理して薬を飲んで病気であることを隠して日常生活を維持しようとするのは体に良くないのではないかなと思います。

ドイツでは、会社員であれば病欠は有給休暇から差し引かれず、休暇中に病気になったら、病欠とすれば休暇は消化されずに戻ってきます。医療保険が高いけど、その分、病気になったら国民保険が会社に休んだ日ぶんの給与を払ってくれるから、会社は病気で休んでも文句を言わない感じです。だから薬を飲みながら頑張るような人はいなくて、お医者さんも家で休んでれば治るという考えで、よほどのことがない限りは処方箋は出されません。

もちろんそれで仮病で休む人もいることはいるけど、それも想定内という感じです。こうなると一人で頑張っていてもしょうがないなと感じて、病気をしたら遠慮なく休むというようになりました。

ちょっとびっくりしたのが、お茶のみとタバコを繰り返して早番する怠け者の同僚が「過労になったから」といって、仕事を3か月以上休んだこと。これには正直びっくりしました。もちろんこの間、給料は支払われていて、しかもなんとかして海沿いにあるリハビリ施設に行かせてもらい、1か月ほどゆっくりして楽しい時間を過ごせたそう。ここまでくると、制度を悪用しすぎている気もします。

アメリカの会社によっては、有給がヨーロッパよりも少ないので、クリスマス直前に職場みんなが病気になって、それはどうみても仮病だけど、あえてそっとしておいて、上下関わらず休みをとるというところもあるそう。

長くなったけれど、病気になるのは国に関わらず人間に共通することだから、有給使って病欠をとらないといけないなんておかしいんじゃないかと思ったら、それが正解だと思います。もしもまだやる気があるのであれば、ヨーロッパで仕事に就けるように頑張るのはどうかなと思います。

お姉ちゃんより

病気になって感じるカルチャーショック①

妹へ

元気ですか?

お姉ちゃんは、元気になりました。

ルームメイトのもらってきたロノウィルスのようなもののせいで、近年にないくらいゲロゲロでした。

ちょっと汚い話になってしまいますが、このせいでというかおかげで、久しぶりにカルチャーショックを経験したのでその話をします。

まずは、ルームメイトですが、ルームメイトといっても、民泊で泊めてるスペイン人の人です。その人がまずゲロゲロな状態になり、よくなって二日後にお姉ちゃんにも全く同じ症状があらわれました。

自分が病気になるまでは、必要な物はないかと聞いていたけど、しばらくは何も口にしたくなかったそうで、とにかく水だけ飲んでいるようでした。2日後「今日ちょっと何か食べようと思うんだけど、パスタとかお米とかある?」と聞いてきたので、自分用に炊いていたご飯の残りをあげました。

どうやら、お腹にやさしい何も味付けのないご飯やパスタをとりあえず食べてみるという感じでした。パスタってなんとなく消化に悪いイメージだけど、ご飯と同じ感覚で食べられているんだなと思いました。

ルームメートの話になってしまいましたが、本当にカルチャーショックだったのが、彼氏が持ってきてくれたもの。感染率の高いノロだというので、マスクにゴム手袋姿で現れて、買い物袋を置いてささっと行ってしまいました。開けてみると、コーラにラスクにプレッツェル・・・。

えっ・・・・。

少年の買い出しのようなものです。唯一納得できたのは、お腹に良いハーブティーと吐き気止めの薬。

うちではお腹をこわしたら、おかゆ、そしてニンジン、カブ、そしてじゃがいもなどの入ったコンソメスープが定番の気がします。だから自分でも、次の日によくなったら味噌汁やコンソメスープを作りました。

でも彼氏が来てくれた日は本当に立ってるのも辛かったので、熱で頭がくらくらする中、本当にベッドでプレッツェルを横寝のままボリボリ食べながら、コーラで流し込んでいました。これこそ本当の異国体験。お腹には優しかったのか、吐き気どめのおかげなのか、胃のなかに留まってくれました。

ちなみに彼氏は「これはドイツでお腹こわした時は普通なんだよー」と後で念を押してました。お母さんに話したら「えーっ、信じられないっ」と驚かれるかと思って話したら、「あ、それはね、多分、自分がお腹こわしたことないから何を買えばわからなかったんだよ」と普通に受け止めていましたw

コーラで一番最初に思い出したのは、カナダで初めて熱を出したときのこと。その時、やっぱり食べたかったのはお母さんのコンソメスープだったけど、ホームステイ先でジンジャーエールチキンスープが出てきました。チキンって、肉だし油だし、パスタも浮いてるし、よくないのではないかなと思いました。

そして何故にジンジャーエールかと聞いたら「ジンジャー(生姜)は体に良いでしょ」といわれまし。確かにそうだけど、ジンジャーエールには一体どれだけの生姜が入っているというのでしょうか?(そもそも本当に入っているのでしょうか?)

ドイツ人の元彼氏は、風邪を引くと必ずジュースを飲んでいて、これでビタミン剤の代わりという感じのようでした。ドイツには本当にハーブティーが多くて、症状別や効き目がある内臓ごとにハーブティーが売っています。今回もらったハーブティーは「胃腸用」で、ミントとかが入ってみたいです。

長くなってしまうので、来週続きを書きます。

あなたも、身体に気をつけてね。

お姉ちゃんより

お金との健康な付き合い方

不景気

アメリカなどに行くと、車のバンパーにステッカーを貼る人がよくいます。

それは「赤ちゃんが乗っています」だけではなくて、ユーモアにあふれるものから、ちょっと考えさせられるのもまであります。

その中で有名なのが”Drive this car to go to work, go to work to pay for this car“です。意味は、「この車で仕事に行くんだ、仕事に行くのはこの車を買うため」という意味で、この車の後ろに停まってステッカーを見た人は、「一体何のために働いているんだろう」と一瞬考えさせられてしまうことでしょう。

生きるために働くのはもちろん大切なことです。でも、稼いだお金を使うことも大切なことだと思います。ここで、お金とのいい付き合い方について話します。

お金は天下のまわりもの(目に見えないエナジー)

一度、お茶の展覧会で、チャイを売っているインドの人と話しました。

その人は、インドの農家の人達を助けるために、農家の人がもっと儲けられるようにと、こうやって外国受けのいい、オシャレなパッケージのチャイティーを作って売っているという話をしていました。

あまりにもこれはお金のためではなくて人助けのためというような言い方をしていたので、「でも農家の人に、売り上げの全部が行くわけではないんでしょ?農家の人よりもお金儲けてるよね?」と聞きました。

するとその人は「お金はエナジーだから」というのです。

お金は流れていくものだから、それに執着してはいけないでもお金を稼ぐことや使うことは悪いことではない。そう言っていました。なんだか金は天下の回りものというけれど、流れていく「エナジー(気)」と捉えるのはおもしろいなと思いました。

でも本当にエナジーです。

物理で、物に働きかけると物はエネルギーを持つというけれど、このエネルギー(力)もエナジー(気)も英語にすればenergyで同じ言葉です。働けばエネルギーが発生するけれど、これを保存することはできないので、お金として受け取る。お金はただの金属の塊や紙切れだけど、それを価値ものあると感じるとき、エナジー(気)の働きがあるような気がしてしまいます。

お金は不幸のもとか?

お金はあるからといって幸せになるとは限りません

最近の若者は、お金か時間かというと、「給料が減ってもいいから、労働時間を減らしたい」というそうです。

ハーバード大学ビジネスレビューによると、40%の大卒者が時間よりもお金をとると答えたそうです。

さらに、ある程度以上のお金を稼いでも、それ以上幸せにならないという具体的な数字があって、億単位かと思いきや、年間$50,000ドル、日本円だと500万円ちょいくらいだそう。他では$75,000という話もあります。

なぜ意外にそれほど高くないのかという理由は、年間300万円から500万円に給与が上がれば、生活の質が上がるけれど、それ以上上がると、もう既に自分の欲しいものは買えいて、やりたいことはやれるお金がある状態のため、急激に幸せになるとこもなく、逆に労働時間が増えたりして、幸せ度が落ちてしまうそうです。労働時間が増えると、自分の自由時間がなくなるだけではなく、友達や家族と過ごす時間も減ってしまうため、幸福度に大きく関係するというわけです。

時間をお金で買う

もしも給料を減らして週4時間労働にするというようなことができないのであれば、「時間をお金で買う」ということをするのが幸せに繋がるかもしれません。

例えば、部屋の掃除をお掃除サービスに任せたり、自分で調べて予約すれば安く済む旅行も、パッケージ旅行にしたり、バーチャルアシスタントのような、助手を雇って、面倒なことをやってもらう、そんなことも時間の節約に大きく関係します。

お金に余裕があるのであれば、「自分でやればタダで済むのに」という考えを捨てて、時間を買いましょう。「死を意識してみよう」という話をしたけれど、時間ほど大切なものはありません。

最後に

最近、近所でALT ABER BEZAHLTというステッカーが貼ってある古いキャンプカーを見つけました。これは「古いけど支払い済み」という意味です。車のために一生懸命働くのではなくて、自分ですぐに払えるようにと車の質を落とす、こんなことさえも幸せにつながるのかもしれません。