エストニアに住んでみて

brown deer on green grass field

妹へ

久しぶりです、元気ですか?

エストニアに来て以来、忙しくて何も書くことができませんでしたが、こうやってまた時間がとれるようになりました。

今日はエストニアについて話します。

バルト三国の一つであるエストニア

エストニアは、ヨーロッパの中では、東ヨーロッパでもなく、北欧でもなく、バルトに分類されます。リトアニア、ラトビアとともにバルト三国と称されていると地理で習った記憶があるのではないでしょうか。

エストニアは、首都のタリンからフィンランドのヘルシンキまでフェリーで行ける距離にあることもあり、言語はフィンランドと近いです。

フィンランド語は、周りの国で話されている言語とは全く関係なく、前までジプシーと呼ばれていたロマの人たちの言葉と関係があり、ハンガリー語と関係があると言われていますが(似てるといっても、多分日本語と韓国語のような感じ)、エストニア語もその言語族に入るので、「こういう意味ではないかな?」と全く想像がつきません。

photo of castle exterior
Photo by Hert Niks on Pexels.com タリンの旧市街

旧ソ連のエストニア

エストニアは旧ソビエトの国なので、時々、その時の名残りを見ることができます。

例えば、タリンの中心地にある昔の街は、中世の名残りがあるのに対して、少し街の外に出ると、ソビエト時代を思わせる、角ばっていて似たようなアパートが並んでいます。ソビエト時代からある食堂やカフェも残っていて、そういうところでは、日本で昭和を懐かしむような感じで、素朴な味の食べ物を激安で楽しめます。例えば、ソビエトっぽいなと思うドーナッツ屋さんに入ったら、破格の50円ドーナッツがあり、家でやるように粉砂糖をかけた家庭科の授業以来食べたことがなかったドーナッツが食べられました。

旧ソビエトを思わせる、大きな銅像や広場のようなものも所々にあります。そしてソ連のスパイが使っていた牢屋や、ソ連が用意したバンカーも所々に見られます。

エストニア人はフィンランド語を話せる人が多いですが、これはなんと旧ソビエト時代の影響だそうで、ソ連の外のニュースを手に入れることができなかった当時、電波が届くほど近いフィンランドから流れてくる情報が、鉄のカーテンの外の様子がわかる小さい窓だったそう。ロシア語を話せる人も多く、ロシア人もたくさん住んでいて、表記はエストニア語、ロシア語そしてそれに次いでフィンランド語や英語が多いです。

今日のエストニア

エストニアはデジタル大国の日本とまではいきませんが、ヨーロッパの中では電子化が進んでいて、どこでも支払いはクレジットカードOKです。日本よりも電子化が進んでいるのは、役所の手続き。これがほとんど電子化されているので、役所に直接行かなければいけないことは、日本よりも少ないと思われます。

少し前までは、ヨーロッパのデジタルノマドから注目されていて(今日は多分ポルトガルが一番注目されている)、共同ワーキングスペースが充実していて、普通のカフェでもパソコン用のコンセントが多いイメージです。市内バスの中にまで、飛行機の中のようにUSBケーブルの充電ポートが用意されていたり、そこら辺にある自転車置き場が、アプリで自転車を無料でロックできる仕組みになっていたり、いろんなところで近代社会を感じます。

エストニアの食べ物

空港から街に向かうタクシーの中で運転手さんに「エストニア料理にはどんなものがあるの?」と聞いたら、ドイツに占領されていたこともあるからドイツ料理と似てるよと言われました。海に面しているから、魚は豊富で、ロシアに近いこともありキャビア(日本でいういくらとかもこの一種)が多いし、シーフードには欠かないです。でも、魚の種類がちょっと違うので、イカなんかは見ません。鮭は破格の値段で売られているけど、地元の人によると、金ではないけれど、鮭の相場は変動があって、すごく安い時もあればすごく高くなる時もあるそう。

北国で野菜はあまりないのか、冬の野菜売り場は品薄で、高いです。ドイツではスペインやイタリアから流通があるのに対して、ここではモロッコやポーランドと、意外なところから野菜を仕入れているよう。

肉は、鶏肉が一番多いようで、肉の中では鶏が一番安いです。乳製品が豊富で、乳製品のコーナーが異常に大きく、そのせいなのかアイスクリームの種類が多いです。ソビエト時代、ソ連の中でエストニアは乳製品の品質が優れていることで有名だったそうで、確かに、バター一つをとっても、品質は高いです。

woman in blue dress standing beside cow on green grass field
Photo by cottonbro on Pexels.com

エストニアのスーパーでは、小さい国だから自国のものをもっと積極的に消費してもらおうという意向からか、エストニアのものには値段の札のところに国旗がついているので、スーパーでエストニアのものを見つけるのは簡単です。印象では、チーズから魚まで、燻製のものが多いです。

エストニアの人たち

エストニアの人柄は、日本と似ているところがあって、静かで自分のプライバシーを大事にして、もめごとを嫌います。エストニア人はマンションの廊下で隣人とすれ違うのが嫌だから、廊下に誰もいないことを確認してから家を出るという、変なステレオタイプがあります。18歳になったら家を出るのが普通で、それも、自分のプライバシーを確保するためなんだとか。

昔から港がある街は、アムステルなどもそうですが、いろんな物や人を見てきたからオープンだといいます。エストニアもきっとそういうところがあるのではないかなと思います。

エストニアについて想うこと

「食べて祈って恋をして」で、街それぞれにそれを表す言葉があるという話が出てきますが、ここはなんと言い表したらいいかわかりません。ヨーロッパの中では「デジタル」とかが当てはまるのかなと思いますが、中世の街並みやソ連の建物の隣に立つとてもデジタルなショッピングモールを見ていると、近代化が急に来すぎたのではないかなと思ってしまいます。

近代化を図ると、いろんなところから批判や反対意見が出るのに、すんなりとデジタル化が進み、国会などでも普通にパソコンを持ち込んでいる政治家もいるのを見て、エストニアは柔軟な国なんだなと感じます。

自然も多くて、海に面していて、島も200島ほどあるようなので、小さい国でも、長期滞在してみる価値はあるところなのかなと思います。

エストニア工場見学
乳製品工場見学

お姉ちゃんより

ホームシックにならないアットホーム対策(日課編)

妹へ

元気ですか?

今日は、家や日本を離れてホームシックになった時の対処法について話します。

お姉ちゃんはかれこれ海外生活歴14年くらいになります。だからホームシックなんてもう縁がないかもしれないと思われるかもしれないけど、家から離れて、まだ自分の家と呼べるところがない生活をして長いから、ホームシック対策というよりも、「どうやったら家にいるようなアットホームな気持ちになれるか」は長年の課題です。

慣れないところから帰ってくるとどっと疲れる」とお母さんはよく言うけど、長期的に家に帰れないとき、この状態でいると精神的に本当に疲れてしまいます。

突然だけど、あなたはどんなことをした時に「あぁ~家に帰ってきた」と感じることができますか?

自分の布団で寝る、お母さんの手料理を食べる、居間でテレビを見る、自宅のトイレを使う、などなど人によってそれぞれだと思います。これをどうにかして旅行先や滞在先にもっていくことが、ホームシックにならないためのカギだと思います。

もちろん、友達・家族や家具などの大きな物は持って行けないので、自分で何か持って行けるものを見つけておくといいでしょう。

たとえば、自分の枕やぬいぐるみを持って旅する人がいます。

そうやって自分の慣れ親しんだものを持っていくのは簡単でいいと思います。

brown bear plush toy
Photo by Ann H on Pexels.com

でもそんな物がないとき、スーツケース一つで、あまりものが持って行けない時、心を落ち着かせてくれるのは日課だと思っています。

アジアを放浪していた時、数日おきに違うところに移動している生活をずっとしていた時、なんだかホームシックな感じになったので、ノマドの人たちは何をしているのかを調べました。その時に、自分の生活に生活のリズムをつくる習慣を取り入れるといいということを聞きました。

たとえば、朝の日課を一つ取り入れるだけで、不規則な旅路の生活にちょっとしたリズムができます。これを日本にいた時から続けていると、アットホームな気持ちを旅先に持ってくことができます。例えば、朝のストレッチやヨガ、ジョギング、それか一杯目のコーヒーを自分で淹れるとか、何か考えないでも自動的にできるものがあると、朝「起きてXXをやらなくちゃ」と起きてから何かやらなければいけないことがあり、ダラダラするのを防ぐことができます。

お姉ちゃんは、どこに行ってもできる時に自炊をするようにしています。

慣れない土地で慣れないものを食べていると、なんだか疲れます。そんな時に自炊をすると、家にいるような気がして心が落ち着きます。

ベトナムにいた時、旅に疲れてきたなと感じたら、共同キッチンのあるホステルを予約して、自炊しました。近所にある商店でお米2号と卵を買いました。指さしでなんとか買って、渡された一つのプラスチック袋には、そのままお米と卵が一つ入っていました。

それでごはんを炊いて、卵と炒めてチャーハンを作りました。こんなことでも、なんだかほっとして、ちょっとした日常を取り戻すことができます。

ちなみに昔留学中に知り合った日本人の女の子は、まだ家具もないときにマグカップで納豆ご飯を食べたということを言っていました。納豆はどこでも手に入れるかはわからないけど、どこでも手に入るもので心が落ち着く食べもの、自分の中のソウルフードとかコンフォートフード(comfort food)というものを知っておく、作れるようにしておくといいと思います

あなたも、何か、どこにでも持って行ける、自分の居場所のつくり方、やると落ち着くことを持っていくといいと思うよ。ホームシックというよりは、日常生活を感じられない生活はつらいからね。

お姉ちゃんより

P.S.『習慣の力』はすごくおすすめの一冊です。習慣は自分の記憶力や意志よりも強く、痴呆症よりも強い。いい習慣のつくり方や、悪い習慣の断ち切りかたがわかりやすく説明されています。

ヨーロッパ旅行~シュトュットガルト編~

妹へ

元気ですか?

お姉ちゃんは一週間休暇をとって、電車でオランダと南ドイツへ行ってきました。もしかしたら、旅の話の方が、あなたに「ヨーロッパに行きたい!」と思ってもらうのに役立つかと思って、今日は旅行で訪ねた場所を紹介します。

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透明人間になること

妹へ

元気ですか?お姉ちゃんは元気です。

最近、友達の35歳の誕生日を祝いに行きました。

この友達はすごい人で、プログラマーを仕事にしながら、年に6か月働いて6か月は放浪するということを28歳くらいの時からしていて、33歳から「40歳でリタイヤする」ということを目標に必死に働いている人です。

そんな友達は、お姉ちゃんの何倍も旅行している人なので、会うたびに自分がどれだけ旅行をしてないかを話せる唯一の人です。お姉ちゃんは他の人からしてみれば旅行してる方だから「そんなに旅行してるんだから、もういいでしょ」と思われがちです。

その友達に今回相談したのは、「年々旅行に行きたいという意思が減っている」ということ。

「正直、このままオーストラリアとか南アメリカとかアフリカとか行かないうちに死ぬことになっても、後悔が残る気がしないんだよね」というと「それは、年をとってきてるってことだよ」と言われました。あなたが、ワーホリに行く気力を無くしたのは、そのせいもあるかもしれません。

その時に言われてはっとしたのは、「年をとるにつれて、周りに対する興味も薄れて、周りから自分に対する興味も薄れていくものなんだよ」という言葉です。前は若いくて可能性に溢れていたせいなのかわからないけど、年上の人に可愛がられたり、奢ってもらったり、ためになるアドバイスをもらったりしていたけど、そういうこともここ数年めっきり減っている気がします。人生の相談ごとをしても「いい大人に説教してもしょうがないな」とあきらめられているのかもしれません。

もちろんこれは自分のせいでもあって、知らない人に会う機会も少なくなり、会ったばかりの人のことを知ろうとすることが面倒になっているところがあります。知らない人を好きになろうという努力も減っています。

お姉ちゃんは18歳の時に短大で色んな国の人に会って、韓国人からアフガニスタン人と、とにかく会う人に「自分の言葉でこんにちは、ありがとうってどういうの?」と片っ端から聞いていました。今では、新しい国に行った時に、現地の言葉でありがとうをどういうか調べるくらいで、あとはいろんな国から来た人に会っても、その国に関心や興味を示すようなことがほとんど全くなくなりました。

だから少しでも「デンマークに行ってみたい」とか「海外にちょっと住んでみたい」という気がまだあるなら、まだそういう気持ちがあるうちに、そして周りからまだ可愛がられたり、助けてもらえたりするうちに行った方がいいと思います。

もちろん、何歳になっても人と繋がる機会はあるから、人のことを知ろうとしたり、勇気をもって話しかける努力をするのは年齢にかかわらず大切だと思います。ただ、若いうちの方が面倒くさいの前に、「本当に興味があるから人に話しかける」「恥ずかしくても、聞きたいから聞く」ということが自然にできると思います。

お母さんも、「おばちゃん同士はどこも一緒だから」とか言って、マレーシアで道を聞いた知らないおばさんの車に乗せてもらったこともあるくらいだからね。話しかければ、人との繋がりはうまれるものです。

お姉ちゃんより