31歳で30代を考えてみる

31歳

妹へ

31歳のお誕生日おめでとう!

30代になって1年、30代という数字に慣れたでしょうか?20代から30代になったばかりの時は焦りとか実感がわかないとか、そんなところだったかと思いますが、1年経ってAge is just a numberという感じでしょうか、それとも何か心境の変化などあったでしょうか?歳の感じ方は人それぞれですが、人それぞれにそれまでの経験を元にした悟りがあると思います。

最近、夏目漱石の「草枕」に出会いました。草枕は、吾輩は猫であるの後に書かれた作品で、冒頭の一節で有名です。

智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

この草枕に、フィクションですが、主人公が30歳で悟ったことを述べているこんな一節があります。これを読んだ時、自分にとって30代になってわかったことはなんだろうと考えさせられました。

世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。(・・・)うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。

自分を知ること

30代になることに不安を感じていた時、31歳のギリシャ人の知り合いにそのことを話しました。するとその人は「30代の方が20代の時よりも断然いいよ」というのです。その理由というのが「自分のことをもっとよく知っているから」というのです。

お姉ちゃんは今34歳で、確かに以前よりも自分のことを知っていますが、これがいいのか悪いのか決められません

自分のことを知らなければ可能性は無限ですが、自分のことを知っているということは、つまりは自分の身の上を知っているということで、それを受け入れてしまったら自分の限界を受け入れるしかなくなってしまうからです。自分のことを知らない時は、辿り着きたい先ばかりを考えていましたが、自分のことを知ってからは、自分の置かれている立場や状況、能力を考慮せざるを得ず、つまりはゴールだけではなく出発点も考慮するようになりました。

出発点をよく知っているということは、辿り着きたい先がどれだけ遠いかにも気がつかされます。ただ前に向かってがむしゃらに突っ走っていた頃とは違い、その距離を見ただけでその遠さに目が眩んで足がすくんでしまいます。どれだけの努力が必要かと思うと、やる気をなくしてしまいます。お姉ちゃんは前までは新年の抱負を立てるのが好きでした、でも32歳になった頃から、それを全然達成していない自分に気がつき、しかも「いつかはやる」リストばかりが長くなっていることに気がつき、「自分は、目標をたてることは好きだけど、実行はあまりしない人だ」ということに気づき、目標を立てること自体について疑問を感じるようになりました。

だから、自分のことを知っているのは必ずしもいいことではないのかなと思ってしまうのです。

世の中を知ること

自分だけではなく、世の中の理解があるのもいいことか悪いことかはわかりません。それで人生楽に生きていけるものなら、悪いことではないのかもしれません。でも「明るいところには影ができる」と草枕の主人公のように悟っているのは、いいのでしょうか。

誰かと恋に落ちて、そのまま一生一緒にいれるような気がした初恋の頃と、いつかは別れが来てしまうと現実的になっている今はどちらの方がいいのでしょうか。恋が終わった時に人生が終わったような苦しみは味わわなくてもいいかもしれませんが、それほど盲目な恋をすることは無くなってしまいます。

大きく失敗して、真正面から壁にぶつかるような経験は不快なものです。でも、そこに壁があるとわかったら、避けて通ることを身につけます。「物事はどうせ思い通りにならないんだから」とか「現実は想像を超えることはないんだから」、そういって何かを悟って、新しいことに100パーセントつぎ込むことを辞めるせいで人は年老いていくような気がしてなりません。

だから好奇心を持って、30代になっても「やってみなければわからない」をモットーにして生きていけたら、この先もっと辛いことに直面するかもしれないけれど、新しい発見や楽しみに出会うことができるのではないかなというのがお姉ちゃんの悟りです。

年の功

自分の身の上を知ることはいいのかどうかわからないと言いましたが、一つだけ自分のことで知るようになってよかったと思うのが、自分の強さです。辛いことや大変だった経験に自分の弱さを教えられたり、両親が生きていてみんなが幸せだというごく普通の現実がある日突然崩れてしまうことがあるという日常生活のもろさを教えられましたが、それを乗り越えたということが自分の強さとなりました。

あなたも、死ぬかと思うぐらい働いて、辞めたいと思っても仕事を辞めずにいて、自分の限界や忍耐力を知ることができたかもしれません。例え、そこに「乗り越えた」という実感がなくても、後になって自信が必要な時に「自分はXXな時やXXな時を乗り越えてまだ生きているんだから、きっと大丈夫だ」と自分の力を信じる根拠になってくれるはずです。

こんな経験がある30代は、自分の限界を知らずに自分の力を過信してしまったり、可能性を知らずに挑戦を避けているような20代の頃とは大きく違うと思います。

20代の頃に信じていたものが、今は違うように、あなたも30代を過ごして気づいたことを書いてみてはどうでしょうか?

31歳、ますます健康に気を使って、なりたい自分により一歩近づけるような、有意義な一年を過ごしてください。

お姉ちゃんより

P.S.

このブログは30歳の誕生日プレゼントだけど、31歳のプレゼントもないので、月一ペースくらいで何かためになることを書こうと思います。

親の愛情

妹へ

元気ですか?お姉ちゃんは元気です。

今日は親の愛情について話します。

最近、映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の元になったフランク・アバグネールさんの話を見つけました。

この人は、16際の時に、何も知らずに家庭裁判所に連れて行かれて、自分の知らない間に離婚を決定していた両親の間に立たされ、裁判官に「お父さんとお母さんと、どっちと一緒に暮らしたいですか」と聞かれたそうです。フランクさんはショックでそれに答えずに、裁判所を逃げだしそのまま家出し、詐欺師になり、お父さんとはその日以来顔をあわせたこともなくて、お母さんとも数年連絡を取らなかったそうです。

でもこの人が自分の波乱万丈な人生を語って、最後に親の大切さを語っていたのが印象的だったので、親の愛情について話すことにしました。

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ジェネラリストとスペシャリスト:石の上にも三年

道

今日は、一つの物事を続けて、専門性をつけることと、対照的に、浅く広く知識をつけていくことをついて話します。

ジェネラリスト(ゼネラリスト)とスペシャリスト

ジェネラリストはgeneral(一般的)という英語が元になっており、特に専門性を持たずに、広く浅く物事をこなすことができる人のことです

スペシャリストはその名の通り専門家のことで、ある特定の分野で多くの知識と経験を積んできた人のことです。専門性に優れているため、ジェネラリストとは対照的に「狭く深い」知識を身に着けています。

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