妹へ
元気ですか?
しばらく書いてませんでしたが、お姉ちゃんは、最近キャリアチェンジを考えています。
今日は仕事に就いてからも学び続けることと、スキルアップ・キャリアアップについて少し話します。
ドイツの就職サイトには、日本では見かけない項目があります。それが「教育」です。
“キャリアアップと生涯教育” の続きを読む海外に住む姉から、30歳になる妹へ
妹へ
元気ですか?
しばらく書いてませんでしたが、お姉ちゃんは、最近キャリアチェンジを考えています。
今日は仕事に就いてからも学び続けることと、スキルアップ・キャリアアップについて少し話します。
ドイツの就職サイトには、日本では見かけない項目があります。それが「教育」です。
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元気ですか?
お姉ちゃんはコロナからすっかり回復しました。コロナになったせいでしばらく書いていなかったけれど、これからまたたまにここに書いていこうと思います。
前回の年齢の話ですが、コロナにかかった辺りからまた色々な人に出会って、「年齢の違いのせいで相手にされなくなった」という考えを改めました。今回は、人に親切にすることについて話したいと思います。
“人に親切にすること” の続きを読む妹へ
元気ですか?お姉ちゃんは今、ポルトガルに来ています。
今、この旅行で、2つめのシェアハウスに9人で住んでいますが、大体が若い人たちです。前のシェアハウスに、なんと19歳のルームメイトがいました。福島の話をしたら「え、原子力?もしかして広島のこと?」というので「福島だよ、ほら、10年前の津波と地震」と言ったら「その頃、8歳か9歳だったらからニュースとか見てなかったし」といわれました。
まあ、それはおいておいて、今日は年齢のギャップを感じたこれを機に、年齢を重ねることについて話します。
お姉ちゃんは同年代しか恋愛対象として見られないので、40歳というとあまり歳の差はなくなってしまいましたが、40歳の男性はまだまだおじさんです。しかし見た目も性格もいいなと思う20代の男性からは、恋愛対象外にされていることを感じるようになりました。
2月にエストニアのスーパーのレジで並んでいる時、視線を感じたので、そちらを見ると、かわいい感じの20代の男の子がこちらを見ているようでした。そしてその時「あ、こういうことってしばらく経験してないな」ということに初めて気が付きました。
そして、自分の番がまわってきて、レジ打ちの人がビールをスキャンしてから「IDを見せてください」と言ってきます。こういう時はもちろん、運転免許などを見せなければいけないのですが、つけていたマスクを下にずらしてほうれい線を見せて「I’m old」と言ったら「あぁーおっけー」という感じでやりとりが終了しました。
マスクをつけていなかったら、男の子もこっちを見てこなかったと思います。
19歳の人たちと接する機会は全くないため、ルームメイトとしてちょっと話かけてみると、すごく恥ずかしがり屋のようで、ちょっと震えていたりして、そわそわしていたり、お姉ちゃんと話していると緊張しているのが伝わってきました。
お姉ちゃんはその子を同等として扱っていたけれど、あっちからすればお姉ちゃんはおばさんなんだということにしばらくしてから気が付きました。その途端、自分をこの男の子の同等という位置に置くのはちょっと無理があるということに気が付き、変なスイッチが入りました。
「私が19歳だったころはね・・・」と、先輩風ではありませんが、この若い少年に無性にアドバイスしたくなったのです。旅行をするなら若いうちだよ、お金が全てじゃないからね、大学に行かなくても将来なんとかなるものよ、と聞かれてもいないのに勝手にアドバイスをしている自分を自分で見ていて、これは痛いなとちょっと思いました。
今、9人のシェアハウスに住んでいて、大体の子が20代前半です。
イタリアとドイツの24歳の男の子たちは話しやすくて面白いのでキッチンなどで見かけると積極的に話しかけています。
5年くらい前だったら、積極的に話しかけられるほうだったのに、今ではこうやって自分から話かけていかないと相手にされません。前だったら、冗談を言ってきてからかったりしてくるはずだったのに、今では年上として尊敬しているので、変に気を使われています。「34歳なんですか?いや、若く見えますよ」と思ってもいないお世辞さえ言われるのです。
家の外でも、他の旅行者と会って一緒に出かけると、これもまた年齢を感じます。一人だけ30代以上ということもあり、みんなが「今夜飲みに行こうよー」という時に断ると、一生懸命誘ってきません。別に一緒に行きたいとも思わないのですが、誘われないのはちょっと寂しいなと思います。
ツアーグループでも、自然に今後一緒に何かする予定ができていきますが、そこでも自分から入っていかないと、誘われない感じがしました。
後で友達に話すと「きっとこの人はもう大人だかな、僕たちなんかと一緒に遊びに行きたくないだろうなって気を遣ってくれてるんだよ」と言いますが、可愛かったらちょっとは誘ってきてくれるものです。
たまたま同じ年頃の子達と一緒に遊びに行った時も、道ばたで男の人に声をかけられていくつかと聞かれて、「何歳だと思う?」と聞いたら、他の子達は20代だと思われたのに、お姉ちゃんだけ「うーん、さんじゅう・・・に?」と30代以下には見られません。これはちょっとショックですが、もう30代半ばなので、無理はないのかもしれません。
なんとこの恋愛対象外にされているという話をしてわかってくれたのが、お母さんなのです。もちろん、お母さんとは次元が違うのですが、対象として見られていないことやスルーされていることをよくわかってくれました。「そうそう、あるある」とお母さんから賛成されているのを聞いていると、自分も中年に近づいているのかなというのを感じました。
このことについて話していた男友達に言われたのが「今さ、そうやって対象から外されたばかりだから、この状況をどう処理していいかわからなくて悩んでるみたいだけど、もうちょっと年上の、年齢的に恋愛対象外にされて数年経っている人たちに話してみたら?どうやったら誘われるようになるかとか、どうやって若い人たちに溶け込んでいけるかとかアドバイスもらえるんじゃない」ということ。
「いや、もう対象を外されて数年経ってたら、もう自分は対象外だって諦めてると思うよ。20代の子達と一緒にいること自体対象外だと思ってると思う」と言いました。
「じゃあ、もう自分は20代じゃないんだって諦めるしかないよね」と言われました。
女性にとって魅力的な男性というのは50代がピークなのに対し、女性は18歳をピークに下がっていく一方だという調査結果があります。これはアメリカですが、メディアにはいつも若い人たちばかりで溢れています。
いきなり会った人に結婚してくれと言われることももうないと思うと、ちょっと寂しいです(一回くらいしか経験してないけど)。別に彼氏がいるから、他の男に対象として見られなくてもいいと思う分、いつまでも若くいたい、若く見られていたいという気持ちからは逃れられません。
彼氏にも「もう、十分いろいろ経験したんだから、いいんじゃないの」と言われます。確かにそうだけど、まだたくさん一人で旅行して、旅行先で出会った人と話をして、一緒に食事に行ったり飲みに行ったりしたいのです。
ずっとすっぴんを通してきて「お肌に負担をかけないように、もうこれじゃあ外には出られないっていう肌になったらファンデーションを塗るようにする」と自分に誓っていましたが、もしかしたら今がその時なのかもしれません。そしたら「にじゅう・・・きゅう?」とちょっとは20代に見てくれる機会もあるかもしれません。
私より若いあなたに言いたいのは、やっぱり、何事も経験するなら若いうち!ということです。知らない男の子たちと出かけてワイワイ盛り上がるのも若いうちです。
先日、イタリア人のルームメイトと映画を見ていたら、砂漠をキャンプカーで通るシーンがあり、それを見て「これ僕の夢なんだよね、アメリカをキャンプカーで旅行すること」と言うのです。
お姉ちゃんもそんなことやりたりけれど、できない可能性の方が大きいです。だから口にしてそんな夢を語ることさえ思いつきませんでした。でも、こうやって夢をもっている若い人たちと一緒にいると、元気をもらえます。
可能性はどんどん狭まってきているので、自分の思考もそれに合わせて狭まってきている気がします。だから20代の周りにいるのは無理してでもいいことなのかなと思ってしまうのです。
想像していなかったけど、急に自分の年齢を意識するようになったので、あなたもこんな日がいつか訪れるということを意識して、若さを楽しんで、スキンケアと自分磨きに力をいれてください。
お姉ちゃんより
妹へ
31歳のお誕生日おめでとう!
30代になって1年、30代という数字に慣れたでしょうか?20代から30代になったばかりの時は焦りとか実感がわかないとか、そんなところだったかと思いますが、1年経ってAge is just a numberという感じでしょうか、それとも何か心境の変化などあったでしょうか?歳の感じ方は人それぞれですが、人それぞれにそれまでの経験を元にした悟りがあると思います。
最近、夏目漱石の「草枕」に出会いました。草枕は、吾輩は猫であるの後に書かれた作品で、冒頭の一節で有名です。
智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
この草枕に、フィクションですが、主人公が30歳で悟ったことを述べているこんな一節があります。これを読んだ時、自分にとって30代になってわかったことはなんだろうと考えさせられました。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂(うれい)いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。(・・・)うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。
30代になることに不安を感じていた時、31歳のギリシャ人の知り合いにそのことを話しました。するとその人は「30代の方が20代の時よりも断然いいよ」というのです。その理由というのが「自分のことをもっとよく知っているから」というのです。
お姉ちゃんは今34歳で、確かに以前よりも自分のことを知っていますが、これがいいのか悪いのか決められません。
自分のことを知らなければ可能性は無限ですが、自分のことを知っているということは、つまりは自分の身の上を知っているということで、それを受け入れてしまったら自分の限界を受け入れるしかなくなってしまうからです。自分のことを知らない時は、辿り着きたい先ばかりを考えていましたが、自分のことを知ってからは、自分の置かれている立場や状況、能力を考慮せざるを得ず、つまりはゴールだけではなく出発点も考慮するようになりました。
出発点をよく知っているということは、辿り着きたい先がどれだけ遠いかにも気がつかされます。ただ前に向かってがむしゃらに突っ走っていた頃とは違い、その距離を見ただけでその遠さに目が眩んで足がすくんでしまいます。どれだけの努力が必要かと思うと、やる気をなくしてしまいます。お姉ちゃんは前までは新年の抱負を立てるのが好きでした、でも32歳になった頃から、それを全然達成していない自分に気がつき、しかも「いつかはやる」リストばかりが長くなっていることに気がつき、「自分は、目標をたてることは好きだけど、実行はあまりしない人だ」ということに気づき、目標を立てること自体について疑問を感じるようになりました。
だから、自分のことを知っているのは必ずしもいいことではないのかなと思ってしまうのです。
自分だけではなく、世の中の理解があるのもいいことか悪いことかはわかりません。それで人生楽に生きていけるものなら、悪いことではないのかもしれません。でも「明るいところには影ができる」と草枕の主人公のように悟っているのは、いいのでしょうか。
誰かと恋に落ちて、そのまま一生一緒にいれるような気がした初恋の頃と、いつかは別れが来てしまうと現実的になっている今はどちらの方がいいのでしょうか。恋が終わった時に人生が終わったような苦しみは味わわなくてもいいかもしれませんが、それほど盲目な恋をすることは無くなってしまいます。
大きく失敗して、真正面から壁にぶつかるような経験は不快なものです。でも、そこに壁があるとわかったら、避けて通ることを身につけます。「物事はどうせ思い通りにならないんだから」とか「現実は想像を超えることはないんだから」、そういって何かを悟って、新しいことに100パーセントつぎ込むことを辞めるせいで人は年老いていくような気がしてなりません。
だから好奇心を持って、30代になっても「やってみなければわからない」をモットーにして生きていけたら、この先もっと辛いことに直面するかもしれないけれど、新しい発見や楽しみに出会うことができるのではないかなというのがお姉ちゃんの悟りです。
自分の身の上を知ることはいいのかどうかわからないと言いましたが、一つだけ自分のことで知るようになってよかったと思うのが、自分の強さです。辛いことや大変だった経験に自分の弱さを教えられたり、両親が生きていてみんなが幸せだというごく普通の現実がある日突然崩れてしまうことがあるという日常生活のもろさを教えられましたが、それを乗り越えたということが自分の強さとなりました。
あなたも、死ぬかと思うぐらい働いて、辞めたいと思っても仕事を辞めずにいて、自分の限界や忍耐力を知ることができたかもしれません。例え、そこに「乗り越えた」という実感がなくても、後になって自信が必要な時に「自分はXXな時やXXな時を乗り越えてまだ生きているんだから、きっと大丈夫だ」と自分の力を信じる根拠になってくれるはずです。
こんな経験がある30代は、自分の限界を知らずに自分の力を過信してしまったり、可能性を知らずに挑戦を避けているような20代の頃とは大きく違うと思います。
20代の頃に信じていたものが、今は違うように、あなたも30代を過ごして気づいたことを書いてみてはどうでしょうか?
31歳、ますます健康に気を使って、なりたい自分により一歩近づけるような、有意義な一年を過ごしてください。
お姉ちゃんより
P.S.
このブログは30歳の誕生日プレゼントだけど、31歳のプレゼントもないので、月一ペースくらいで何かためになることを書こうと思います。
妹へ
元気ですか?お姉ちゃんは元気です。
今日は親の愛情について話します。
最近、映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の元になったフランク・アバグネールさんの話を見つけました。
この人は、16際の時に、何も知らずに家庭裁判所に連れて行かれて、自分の知らない間に離婚を決定していた両親の間に立たされ、裁判官に「お父さんとお母さんと、どっちと一緒に暮らしたいですか」と聞かれたそうです。フランクさんはショックでそれに答えずに、裁判所を逃げだしそのまま家出し、詐欺師になり、お父さんとはその日以来顔をあわせたこともなくて、お母さんとも数年連絡を取らなかったそうです。
でもこの人が自分の波乱万丈な人生を語って、最後に親の大切さを語っていたのが印象的だったので、親の愛情について話すことにしました。
“親の愛情” の続きを読む今日は、一つの物事を続けて、専門性をつけることと、対照的に、浅く広く知識をつけていくことをついて話します。
ジェネラリストはgeneral(一般的)という英語が元になっており、特に専門性を持たずに、広く浅く物事をこなすことができる人のことです。
スペシャリストはその名の通り専門家のことで、ある特定の分野で多くの知識と経験を積んできた人のことです。専門性に優れているため、ジェネラリストとは対照的に「狭く深い」知識を身に着けています。
“ジェネラリストとスペシャリスト:石の上にも三年” の続きを読む妹へ
久しぶりですか、元気ですか?最近、生き甲斐を感じる時はありますか?今日は生き甲斐について話したいと思います。
生き甲斐は、近年、IKIGAIとして外国でも使われるようになっています(BBC)。考えてみれば、確かにそれに当たる言葉が日本語にもドイツ語にも見当たりません。
日本語では当たり前のように「あの人はあれが生き甲斐だから」のように日常的に使っているので、言葉の意味についてあまり深く考えたことはないと思います。
ところが「生き甲斐」というコンセプトのない外国で育った人に、「イキガイってどういう意味?」と聞かれたら、答えることはできますか?
“生き甲斐の見つけ方: IKIGAI” の続きを読む妹へ
元気ですか?
今日は転職と転機について話します。
お姉ちゃんは30歳になる直前、大学を卒業してからずっと働いている大学の同級生を横に、自分にキャリアが無いことに焦っていました。住む国を変えたのももちろんありますが、大学卒業後、住んでいたところが不景気で仕事がなかったということもあります。
そんな時、「まだ若いんだから焦らなくても大丈夫」なんてやさしい声を掛けられると、「30歳になって、ちゃんとした仕事に就いていなかったら、歳をとったらますます誰も雇ってくれない!」と思っていました。実際に一度ちゃんとした職に就くことができて、次にまた職も見つかるだろうなという経験から、転機はいつになってもやってくると信じられるようになりました。
実際に周りにも、30代で大学に入りなおして40代でやっと夢の職業につけたカウンセラーの友達もいます。そしてお母さんも、50代で新しいキャリアを始めようとしています。
“転機とキャリアチェンジ” の続きを読む妹へ
元気ですか?
今日は、専門知識なしに、お姉ちゃんの独論というか持論を共有します。
人は生きている中で、単に「念ずれば叶う」とか「自分がやられて嫌なことは人にはしない」とか一般的に言われているものの他に、自分の経験や気づきをもとに説をたてます。ここでいうのは教訓というよりも、自分がもっている仮説のようなものです。
もちろん経験や見方に偏りがあるので、これが本当かどうかは怪しいところです。でもおばあちゃんの知恵袋ではないですが、後に科学的に証明されたり、調べてみたら本当だったということもあります。
“自分論” の続きを読む妹へ
元気ですか?
前回、自分の誇れるものに気づくことで、人と比べて劣等感を感じないようにするという話をしましたが、今回は、比べた相手の見えないところに気づくことで、劣等感を感じないようにするという話をします。
SNSの時代、ナルシズムを気にせずに、リア充を売りにしている人がたくさんいます。
前まで写真は自分で撮るものではなく、撮られるものでした。今は自分が見せたいものだけを見せて、見てもらいたいように自分を見せることができます。でもそれは現実ではありません。
“人と比べるのをやめて幸せになる part. 3” の続きを読む