妹へ
元気ですか?
前回、自分の誇れるものに気づくことで、人と比べて劣等感を感じないようにするという話をしましたが、今回は、比べた相手の見えないところに気づくことで、劣等感を感じないようにするという話をします。
SNSの時代、ナルシズムを気にせずに、リア充を売りにしている人がたくさんいます。
前まで写真は自分で撮るものではなく、撮られるものでした。今は自分が見せたいものだけを見せて、見てもらいたいように自分を見せることができます。でもそれは現実ではありません。
どんなに完璧に見える人でも、人には見せることのない弱さを抱えています。
映画俳優やアーティストの自殺でもわかるとおり、周りから見て成功しているからといって、本人が幸せというわけではありません。
そして周りから認められているといっても、本人がそれを認めることができなければ幸せにはつながりません。痩せている友達が「私は本当に太っている、自分の体が好きになれない」と言っているのを聞いて、「この人は『そんなことないよー』と言って欲しいのだろうか」と思ったことはありませんか?こういう人たちは、周りがなんと言おうとも、自分像が歪んでいるので、他人からどう褒められても自分を認めることができません。だから周りがなんと言おうが、鏡の中の自分は太っているのです。
リア充すぎて、お金持ちすぎて、ファンが多すぎて、共感できそうもない人でも、孤独や劣等感などを持っています。これは人間に共通するものなのです。
だから人を妬むよりも、完璧ではない何か欠けているところを持っていることを認識して、共感できれば、完璧で成功しているような人もただ人なんだなと思うことができます。そうすることで、他人の方が自分よりもいい生活をしているというような妄想から抜け出せます。
幸せになるのに必要なものは世界共通
人が幸せになるために必要なものは、衣食住の後、富でも有名であることでもなく人との繋がりです。
CMで友達がわいわいと楽しそうにしていたり、カップルが幸せそうにしていたりするのを見かけると思いますが、これは人の繋がりたいという欲求に訴えかけて「この商品を買えば、この人たちのように人と繋がれる、繋がっている気持ちになれる」と思い込ませるためです。ビールのコマーシャルは、このビールを買えば、友達を夏を楽しく過ごせると言いますが、ビールを買っても友達はついてきません。車を買ったから自由に自然の近くをのびのびとドライブできるかというと、そうではなく、かえって車の支払いのために生活を切り詰める貧相な生活を強いられるかもしれません。
ドラマの友人関係は、実際にはほとんどないシチュエーションです。でも時々、まるでドラマやCMの一部のようなことが起こります。それを写真に撮ってそれだけを人に見せていれば、そんな瞬間を引き伸ばして、あたかも毎日写真の中のような生活をしているように見せることができます。でもそれをしている本人は、他がどう思おうが、その瞬間を常に生きているわけではなく、普通の人としての生活を続けています。
インスタモデルとインスタアカウント
エストニアでモデルでインスタグラマーの人と3泊4日行動を共にしました。
その人のインスタはチェックしていなかったのですが、たくさん写真を撮っていて、ビデオの編集もたくさんしていました。投稿した後は誰からいくつのいいねをもらえたかをチェックしていて、インスタグラマーは大変だなと思っていました。
旅行が終わって、ドイツに帰ってきてからその人のインスタを見てみると、まるで別人で、綺麗というよりは、完璧で自信満々で近付き難いオーラを放っています。
旅行中に「彼氏と旅行に行った時、部屋のトイレ使える?」と聞いたら「無理無理ー、絶対にホテルのロビーとかジムに行く」と言っていた人とは思えません。もしも本人に会う前にインスタを見ていたら、この人とは友達になっていなかったかもしれません。
人に認めてもらいたい、受け入れてもらいたい、いいねをもらいたいという気持ちはこれによって、全く反対の効果を生み出しています。
どんなに成功しているように見えても、人は人で、弱いところがあります。
トイレの話ではありませんが、人らしい一面を見れる会話ができれば、誰でも悩みを抱えたただの人間で、自分との共通点が多いことに気づくことができるはずです。だからそんな人と自分を比べて劣等感を感じることはありません。自分と比べて劣等感を感じているのは、その人そのものではなくて、その人が作り出している実際には存在しないイメージで、その人自身もそれにはなりきれていないのですから、比べること自体間違っているということに気づいてください。
お姉ちゃんより